慰霊祭では元ハンセン病患者さんの家族の方からお話を伺いました。「癩予防法」(1931年制定)という療養所への隔離政策が、患者の治療、救済が目的でなく、日本政府の外国に対するメンツを保つためのものであったこと、また「無らい県運動」が、各県でハンセン病患者の存在を社会から消し去ろうとする目的であったことを学びました。この国の政策によって、患者さんとその家族は地域、親戚から爪弾きにされ、親子、夫婦がバラバラにされ、人生そのものを奪われたことに心を痛めたことと思います。 太平洋戦争後、治療薬ができ、治癒、社会復帰が可能・・