「限定的な私たちの認識」の枠を広げるための言語習得

昨日の結団式では各団長、プレゼンありがとうございました。4人とも団員の意識を高揚させ、絆を深めるプレゼンだったと思います。

 

さて。私たちは、虹の色は七つだと思っています。けれども、これは一つの文化内での常識であり、「絶対的事実」ではありません。たとえば七色なのは日本・韓国・オランダ、六色はアメリカ・イギリス 、五色はフランス・ドイツ・中国・メキシコ、四色はロシア・東南アジア諸国だそうです。国や文化により、虹の色の数、見え方とは「限定的」な認識なのです。

 

秋には虫の声が聞こえてきます。日本では古来虫の声は愛でられてきました。しかし日本人とポリネシアン人以外の民族の人には虫の声は雑音にしか聞こえないそうです。この違いは虫の声を右脳で聞くか左脳で聞くかによって生じるものだそうです。
外界からくる情報は全て万人に等しい客観的なものと思いがちですが、虹の色、虫の声は、入り口、つまり視覚器官、聴覚器官、あるいはそれを司る脳の違いによってすでに「限定的」に受け取られるものだということを語っています。

 

ネット社会の中では目の前のスマホを通して得られる情報は無尽蔵だと思いがちですが、果たしてそうでしょうか。たとえば、皆さんはテロによる破壊活動が世界中で頻繁に起こっている状況を知り、心を痛めていることと思います。

 

しかし中米メキシコ、南米ベネズエラ、チリ、そしてエジプトでは、一般市民ということだけでなく、キリスト者、キリスト教会ということで襲撃や惨殺が起きていることを知っているでしょうか。今日でもキリスト教への迫害があるということをおそらく知らないと思います。

 

でもそれは「皆さんに関心がないから」ではなく、そもそも日本語では伝えられていない情報だからでしょう。つまり個人が選択できる以前にいやおうなく個人が取得する情報力は「限定的」だということがポイントです。

 

自分が操る言語というフィルターですでに情報が振り分けられているということ、そして複数の言語を習得することによってより広く世界で起こっていることを知ることができるということを皆さんに知ってもらおうと今日はお話ししました。