マザーテレサが見つけた寂しい顔をしたイエス様

先週9月5日はマザーテレサが亡くなった日で、教会ではこの日特にマザーのことを思い起こします。マザーテレサは宣教女としてインド・コルカタで貧しい人、ストリートチルドレン、捨てられた赤ん坊、ハンセン病患者などのお世話をし、また彼女の精神を継ぐ修道会、「神の愛の宣教者会」を設立しました。マザーの活動のスタートは「最も貧しい人の中にいる私に仕えなさい」というイエス様からの招きだったそうです。マザーにとって貧しい人への奉仕はすなわちイエス様への奉仕でした。日本にもこの修道会の修道院があり、貧しい人々に奉仕をしています。夏休みには東京台東区山谷の修道院で炊き出しなどのボランティア活動をしてきたサレジオ生がしてくれましたね。

ある本の中でマザーは英国の立派な老人ホームを訪問した時に感じた事を次のように語っています。

その老人ホームの住人は一人残らず、ドアの方を気にしていました。その顔には笑顔というものがありませんでした。働いているシスターに「シスター、どうして誰も笑顔ではないのですか?どうして皆、ドアの方ばかりみているのですか?」と尋ねました。そのシスターは「いつもそうなんですよ。訪ねてくる人を待っているのです。息子か娘、家族の誰か、友人がドアを開けて訪ねてこなか夢見ているのですよ。」と。マザーはこう思ったそうです。「顔に現れた淋しさは、この老人たちの貧しさ、親族からも友人からも見捨てられた貧しさの表れだったのです。誰も訪ねてきてくれないことは、老いた人々にとって一番堪え難い貧しさなのです。」(『マザー・テレサ 愛と祈りの言葉』PHP文庫pp.161-162

毎日誰かの訪問を待っている、でもその日は決して訪れないとても悲しい情景ですね。私たちの周りに寂しい顔をしているイエス様はいないでしょうか。