2月8日は、サレジオ会の海外宣教団が日本に初めて到着した記念日です。1875年にサレジオ会が要請を受けてアルゼンチンのパタゴニアに宣教団を派遣してから毎年のように様々な国や地域にサレジオ会の司祭や修道士を派遣してきました。1925年サレジオ会海外宣教50周年記念の年に、創立者の夢を実現するために、その後継者たちは日本への派遣を決定し、6人の司祭と3人の修道士を派遣しました。1925年12月にジェノバ港を出港し、1926年2月8日に門司港に到着し、九州地区担当者の出迎えを受けました。

 

1862年6月5日に日本26聖人殉教者の列聖式がピオ9世教皇の司式で行われました。この列聖式のニュースはヨーロッパ中に広がっていきました。自分たちの想像を超えた場所にキリスト教徒がいて、厳しい弾圧のもとで信仰を守り通した人々がいることに驚いたのです。このニュースに触れた人々の中には、日本宣教を考えた人たちがいました。そのうちの一人がドン・ボスコでした。彼は「高い山と都と言う町がある国に宣教に行くだろう」という夢を見ていて、この夢を後継者に託しました。それは、サレジオ会にとって大きな記念の年に実行されたのです。

 

サレジオ会は中国まで宣教していましたが、日本の地に足を付けたことがありませんでした。どのような言語で、どのような気候でどのような習慣があるのか、誰も知らなかったのです。幸いに、船の中で一人の日本人と出会い、彼から日本語と日本の風習を学びます。その大きな違いに、かなり戸惑い、更に実際に生活してみて大変だということをローマの総長に手紙を書き送っています。

 

日本語を習得しながら、宮崎市を中心に宣教を開始しました。その後、各地域からの要請を受けて、時宜に応じた様々な事業所を展開してきたのです。その最後の教育事業所が、現在のサレジオ学院です。