真の多様性と召命
今日は「真の多様性」と「多様性の強要」について考えてみましょう。
すべての善意は強要されるべきではありません。なぜなら、強要された瞬間にそれは善意ではなくなってしまうからです。どんなに良い行いであっても、それが自由な心からの発露ではなく「やらされている」のであれば、そこに本当の善意はありません。多様性を認めることもまた、強制されてよいはずがないのです。
ところが現実には、「多様性」という美しい言葉を用いながら、人々を逆に一つの方向へ揃えようとする動きがあります。たとえば「これが正しい多様性のあり方だ」と主張し、それに同意しないと「おかしい」とか「間違っている」と排除してしまう場面です。「多様性を大切にしよう」と言いながら、実際には「一つの考えに従うべき」という空気を作り出す。多様性の尊重を謳いながら、実際には多様な意見や個性を否定し、皆を同じ型に嵌めてしまう――これはダブルスタンダードに他なりません。
カルロ・アクティスの残した言葉を思い出しましょう。
「すべての人はオリジナルとして生まれるが、多くはコピーとして死んでいく。」
私たちは神によって唯一無二の存在としてつくられました。しかし、流行や同調圧力、そして「多様性」という看板を掲げた均一化の波に飲み込まれてしまえば、せっかくのオリジナリティが失われ、ただのコピーとして終わってしまうのです。
みなさんの「オリジナル」は、多様性の中で生き続けていますか。それとも「多様性」という名の下に、皆と同じ型に揃えられてはいませんか。カルロの言葉と真剣に向き合いながら、それぞれの召命について考えていきましょう。