クリスマスが目前に迫っています。高2・高3の皆さんは知っていると思いますが、コロナ前には毎年、サレジオ学院のクリスマス会に「ブラック・サンタ」と名乗る謎の集団が校長先生と対決しに来ていました。どことなく憎めないワル…なのですが、毎回返り討ちに合い、回心して良い子になって帰って行きます。

 

 ところで、この「ブラック・サンタ」というネーミングがpolitical correctnessの面で相応しくないのでは?と懸念する声もあります。blackという語は差別を助長するので、改めた方が良い…という考え方です。しかし、このように特定の語句を排除しようとする、いわゆる対症療法的なアプローチでは本質的な解決になりません。むしろ、新たな差別を生み出しかねないという見方もあります。それよりは、特定の単語が差別に結びつかない世界を創ることを優先しよう…と。みなさんはどちら派でしょうか?

 

 ところで、白と黒の縦縞の幕(鯨幕)ですが、葬儀ばかりではなく、お祝い事にも用いられて来ました。ここには、日本において黒が「高貴な色」として考えられて来た…という背景があります。また、英語で鍛冶屋のことをblacksmithと表現しますが、これはブリキ職人をwhitesmithと呼ぶのと対になっていて、錫が白いのに対し鉄が黒いことから、このように呼ばれて来たのです。こうした、本来、差別とは無縁の表現を「差別の芽」として全て排除してしまえば、同時に、その言葉の持つ歴史的背景や文化的背景の豊かさをも失ってしまいます。

 

 ブラック・サンタの「ブラック」は色彩心理学に裏付けされた「孤独・暗黒・恐怖」に由来し、そこからの解放を求めている魂の叫びを表現しています。さて、彼らは今年も解放されるのでしょうか?乞うご期待!