人は通常、「理想と現実のギャップ(隔たり)」を感じて生きているものです。そして、その「理想と現実のギャップ」が埋まることを、ある人は「問題解決」と呼び、またある人は「救い」と呼びます。つまり、救いも問題解決も「今ある姿」と「望むべき姿」の溝を埋めるという点で、同じことを指しています。

 

ところで、限界状況で自分はどのような行動をとるかを考えてもらった時、たとえば、「身を挺してでも他人を助けるか、あるいは自分を危険に曝してまで人を助けるのは避けるか」の選択を迫られた時、多くの人が二通りの違った回答を用意します。一方は理想に基づく回答。もう一方はより現実的な回答。つまりは「理想としてはこのように行動したいけれども、現実にはそのようには行動できない」と言った正直者の回答です。

 

何が正直かと言えば、このような人々は「自分の理想と現実との間にはギャップがある」と認めているのです。つまり「自分は問題の解決、あるいは、救いを必要としている」と認識しているということ。では、それが単なる問題解決なのか、はたまた、救いと呼べるものなのか?これについては、①体験した後に②本人が…判断することです。当然、他人が決めることではありませんし、たとえ本人であっても、体験する前から決められるものではありません。「自分は救いなど必要としていない」…と嘯(うそぶ)いても、あまり意味のないことなのです。

 

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