人を思い遣る心は日本人の気高さの中心でした。礼儀作法において、その所作が大切にされるのは、それが心を表現するものだから…ですね。では、伝統的な日本家屋に於いて客人の待つ部屋に入るとき、どのようにしましょうか?

 

 襖や障子を開いて中に入り、再び閉める。たったこれだけのことの中に様々な心配りが表現できます。例えば、突然襖を開けてお客様をビックリさせないよう、衣擦れの音などを殺さないよう気配を放ちながら近づく…などは、作法書には書かれていないかも知れませんが、実践している人にとっては当たり前の配慮です。当たり前すぎて無意識に?自然とそのような所作になって現れて来るものです。
 現代の日本ではドア・ダンパーなどの普及によって、自分で開けたドアを自分で閉めるという習慣すら失われつつあります。便利になった結果、人に配慮する必要がなくなり、人に配慮する機会を失った。つまり、所作で心を表現する場面も無く、その美しさに触れることもなく、誇り持つことも適わない「独り」の集団が形成される。日本人が誇りとしてきた人を思い遣る心が失われるとしたら、私たちは未来に何を遺せるでしょうか?
思い遣り深いサレジアン諸君、君たちの美しい心を行動に表わしてみよう。
「聖なる者」となろう…。