人生の問い「君は何のために生きるのか?」(全校集会)
サレジオ祭お疲れ様でした。皆さんよく頑張ったと思います。
自分たちにしかできないサレジオ祭 “You can be anything!”を目指してチャレンジし、抗ってくれました。皆さんは何者かになれましたか?
私の印象をお話しします。今年のサレジオ祭で際立っていたことは、マネジメントの視点から、事前準備、特に広報だったかなと思います。
冊子がとても厚かったですね。それは協賛金を募る業者数が増えたということでしょう。今年の協賛金は約20万、昨年までが10万円だったので2倍の協賛金を確保できたことになります。素晴らしい!
二つめは宣伝。いくらサレジオ祭自体の企画に拘ってもお客さんが来てくれなければ意味がありません。なので事前にいかにサレジオ祭を宣伝するか?つまり事前広報ですね。今回は事前にサレジオ祭をアピールすることを頑張っていました。聞くところによると女子校を回ってぜひ来てくださいと宣伝したそうですね。素晴らしい!
当日の電子決済も2年目になった今年全面導入となり、しかも運営も当日のトラブルも先生たちと協力しなんとか安定運営にこぎつけることができました。素晴らしい!
一点、マネジメントの視点から講評させてもらいました。
さて今日の全校集会の目玉は皆さんの探究発表ですからそれに関連付けて話します。
人間の特徴、人間にしかできないことは何か?それは「考えること」です。パスカルは「人間は考える葦である」と表現しました。
考えることは何か?まずは「知ること」でしょうか。人間はいろいろなものを「知り」知識を増やすことができます。人類の歴史はこの知識の集積の上に成り立っています。科学技術、政治、経済、文化、全てそうです。でも申し訳ないのですが、「知ること」はワンちゃんでもある程度できます。わんちゃんはご主人様の顔を知り、日常のパターン、たとえばお散歩前の家族の動きをみてお散歩だと理解し嬉しくなります。またみんながソワソワしているとお出かけかなぁ〜置いていかれるのかなぁ〜と不安な仕草をします。これ、わんちゃんが日常生活から「学び知る」ことができるということを示しています。人間だけなくわんちゃんもある程度知識を増やせます。
とすると人間にしかできないことは知ること以外に何かないか?私はそれは「問うこと」だと思います。「問うこと」と「知ること」は違います。「なぜなのか?」「それは正しいことか?」全ての知識は問うことから始まり、知ることの方向性を定めます。簡単に言えば興味あることは知ろうと思うし、興味のないことはあまり知ろうと思いません。問うことが知ることを触発し、方向づけるドライブとなります。
興味あること、その分野の情報を取りに行くことが「問い」ですが、さらに人間らしい問いとは「君は何のために生きるか?」という自分の人生、自分の生き方自体を問う「問い」もあります。「君は何を大切に生きるのか?」「君はどう生きるのか?」これは価値観です。私たちはどこかで価値観と向きあい、「君は何のために生きるのか?」に答えを出さなければならなくなります。答えは簡単に見つかりません。ですから人生そのものが対話であるとも言えます。
「問うこと」はオリジナルであるべく抗うこと、コピーとして流されることなく抗い問い続けること、自分の召命を発見することです。You can be anything! と自分に語りかける時、君はどんな自分になりたいと思いますか?先日の榎本神父の聖カルトアクーティスを紹介した朝の話を思い出してください。「全ての人はオリジナルとして神様から派遣され、それぞれの使命を果たすために固有の召命を持っている。あなたは神と世界から期待されている。」
(♩アンパンマンのマーチ♩が流れる)
あれっなんか聞こえてきましたね〜アンパンマンマーチです。「何のために生きるのか」、サレジアンとしての学びを通して気づく価値観を実現するための問い、「君は何のために生きているのか?」
アンパンマンマーチの歌詞「何のために生まれて何をして生きるのか?」という問い、これ深いですよね〜決して子供のためのアニメだけではないと思います。
探究とは「問うこと」です。今日は探究の発表がこの後行われます。皆さんの仲間が「問い」を立て、それに対して自分なりの答えを見つけようと抗い、現時点での仮のものであれ一つの答えを見つけたということです。発表を楽しみにしています。
