<曲>

今の曲はヤバイTシャツ屋さんの「ヤバみ」という曲です。「ヤバみ」を連呼しているのを聞いて、ふと「『ヤバみ』って日本語としてどうよ」と思い、「ヤバみ」と真剣に向き合うことにしました。

 

「ヤバみ」とは形容詞「やばい」を語幹とし、それに名詞化する接尾語「み」が接続している派生名詞です。たとえば「いたみ」「重み」など。形容詞は「み」以外にも「さ」という接尾語でも名詞化されます。たとえば「たのしさ」「ありがたさ」など。

 

よく考えると「深さ」と「深み」、両者微妙に違う感じがしませんか。「さ」はどちらかというと「客観的、抽象的」なのに対して「み」は「主観的、具象的」です。また「形容詞プラス『さ』」は多くの形容詞で起こりますが、『み』」をとる形容詞はかなり限定されています。「長い」「大きい」は「長さ」「大きさ」とは言いますが、「長み」「おおきみ」とは言いませんね。くだんの「やばみ」も曲を聞いて初めて知りました。

 

次に「形容詞プラス『み』」の文の中での現れ方を見てみましょう。「み」は「ある/ない」など「存在」を表す述語と一緒によく使われます。たとえば「校長先生の朝の話には『深み』が『ない』ですね。」とかです。このように「み-形容詞」は単語のレベルでも構文のレベルでも独特の振る舞いをするようです。

 

さてこのようなもともと少数派であった「形容詞プラス『み』」ですが、最近SNSの世界ではかなり増殖しているようです。「ヤバみ」「つらみ」「かわいみ」など今まで聞いたことのない新単語がどんどん現れています。また多くのつぶやきでは「授業しんどみ . . . 」「らーめんおいしみ。。。」などSNS特有の短い表現です。

 

先ほど触れた「み形容詞」が「主観」を表すこととあいまって、これらの表現は「そこはかとなく」己の感ずる「もののあわれ」を、いずこにいるとも知らぬ聞き手に「問わず語り」するSNSにはうってつけの装置であるし、「授業しんどみ〜」と体言止めにし、全てを語りつくさないことには、日本人特有の奥ゆかしさ、墨絵の空白の部分にある余韻に通じるものがあると言うことは . . . 「なしよりのあり」いや「ありよりのあり」だと思います。

 

今朝は「ヤバみ」という曲に触発されて、「日本語の乱れがどうたらこうたら」と思わず、すこし日本語のもつ変化と生産性について考えてみました。勝手なつぶやきにおつきあいいただきありがとうございました。