先日卒業生と食事をしていた時のことです。幹事役の卒業生がこぼしていました。「一人一人に連絡するの大変なんだよな〜。メールしかやってないやつ、iMessageのやつ、Line やつ、ショートメールのやつ。何にもやってないやつ、それぞれに別々に連絡しなきゃいけないから、そのうち誰に連絡したか忘れちゃうんだよ」と。
  

確かに別々のアプリを使っている仲間に連絡をとるのは大変なようです。皆さんもそんな経験をしたことがありませんか。「みんな違ってみんないい」はここでは当てはまらないようです。ということで、私もこれまで断固拒否だったLineに無理やり入らされてしまいした。今ではどの友人とどのアプリで繋がっているかが分からなくなり、いちいち履歴から探すことになり面倒臭さが倍増しています。
  
これはアプリケーションやプラットフォーム間の互換性の問題でしたが、なんだか現代社会の縮図ようです。地理的な距離の制約に関係なくいろんな人とつながっているようで、実は思いの外、分断され孤立しているのではないでしょうか。
  

大海に浮かんでいるたくさんの孤島のように。そしてそれぞれの島の住民は遠く離れていてお互いに意思疎通ができないでいる状況。世界中のみんなと繋がっているようで、実は小さなグループとしかコミュニケーションが取れない状況がグローバル社会と言われている世界の現実かもしれません。
  
さて私たちは瞬時に地球の反対側で起こっている出来事を知ることができると思っています。でも本当でしょうか。アフリカや南米で起こっていることが本当に全体像として届いているでしょうか。
  

もっと近いアジア圏の国々にしても同じことです。韓国や中国と日本の関係もしかりです。日本という島国にいる私たちですが、知識の窓、言語の窓、そして心の窓だけは広く世界に向けて開いておきたいものです。