朝の話|鳥越校長
2026年01月27日
サレジオ学院の源泉であるチマッチ神父に目を向けよう!
先日は「他者を慮るため見えないものに目を向けよう!」というテーマで、社会の中で「透明化」されがちな女性、特に妊産婦さんの状況に触れました。男性にとって見えにくいからこそ、他者を慮る「目」を持った成熟した若者を目指しましょう。
さて今日は「当たり前過ぎて見えてないもの」をサレジオの日常の中に探しましょう。皆さんはサレジオ学院にどっぷり浸かっていますから逆に「サレジオ学院らしさ」に気づきにくいでしょう。そこで時代を遡り「サレジオらしさ」の源流を探っていきましょう。
ドンボスコによってイタリアで設立されたサレジオ会はどのようにして日本にもたらされたのでしょうか?
1926年2月8日、ヴィンチェンツォ・チマッチ神父を団長とする9名の宣教師が門司の地に上陸したことに全ての始まりがあります。そしてサレジオ学院「らしさ」を知る上で、このチマッチ神父の精神はとても重要な意味を持っています。1900年代初頭、ヨーロッパではファシズムなど全体主義が台頭する兆しがありました。教育現場は画一的で、規律の遵守が重んじられていました。そのためか学校の雰囲気はどちらかというと厳格で重苦しいものでした。チマッチ神父は逆に一人一人の生徒の個性、自由意志、判断力を重んじ、学校の中に若者らしい活気や楽しさが溢れるよう工夫しました。「思いっきり遊び、飛び跳ね、はしゃぎなさい。罪を犯さなければ大丈夫」というドンボスコのモットーを実践したチマッチ神父様をいただいているサレジオ学院の「らしさ」の源流がここにあります。
今年2026年はチマッチ神父が来日して100年目、記念すべき年です。これからの100年に向けてサレジオ学院がますますドンボスコの学校、チマッチ神父の学校となれるようチマッチ神父の精神に目を向け、その雰囲気を体現していけるようみんなで頑張っていきましょう!
