朝の話|鳥越校長

2025年11月18日

「グローカル」なマインドを持ち召命に生きるサレジアンとは?

 京都に観光旅行に行った友人から聞いた話です。自分たちと一緒にバス停に並んでいた一人の外国人旅行者が後ろのお年寄りに声をかけ自分と交代し、先にバスに乗るよう勧めていたということです。その外国人の方かっこいいですよね〜。その方は「外国のことを知りたい」というグローバルマインドを持った人だと思います。でも同時に、バス停のご老人のニーズに思い至るという「その場、その瞬間」、ローカルな視線も持ち合わせていたのでしょう。


 グローバルとローカル、この二つの言葉は相互補完的だと思います。「グローカル」という造語が存在していることも頷けます。グローカルとはグローバルとローカルを合わせた言葉、「グローバルなマインドを持ちながらローカルでアクションを起こす」ということです。


 このグローカルはサレジオ学院の提唱する「召命」にもつながっていると思います。ドンボスコは「せっかく君がサレジオ学院で学んでいるのなら、世界の中で貧困や差別などで苦しんでいる人の声に耳を傾け自分の手を差し伸べることのできる、そんなグローバル人材になってくださいね」と言うでしょうし、続けて「世界のために何かすごいことができなくても、ローカルな、身近なところでの行動が第一歩なんですよ。」とも言うでしょう。世界をより良くしたいというグローバルな視野と目の前の人の必要に応えるというローカルな眼差しを併せ持っている人、これは召命を生きていこうとするサレジアンの姿だと思います。


 みなさんは折に触れて世界の、特に苦しんでいる人のことを知り、心を向ける機会があります。そのようなサレジアンであるからこそ目の前の人のことを心にかける、そんな自主自律のマインドを持ったかっこいいサレジアンであってください。

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