分断された世界の橋渡しになろう!(ルカ13章より)
イエス様はある時こんな譬え話をされました。
「ある農園にいくら世話をしても全く実をつけないいちじくの木がありました。農園の主人は痺れを切らして『この木は切り倒そう。場所が勿体無い!』と管理人に言いました。しかし管理人は「もうちょっと待って様子を見ましょう」とその木をなんとか守りました。」(ルカ福音書13章6~9節)
この譬え話の背景を説明しましょう。実はガリラヤ人を軽蔑するユダヤ人に向けて話された譬え話です。ガリラヤ人は、ユダヤ人からすると「地方出身の教養のない人」、「一緒に住んでいるけど文化的に違う人」だったわけです。イエス様は「上から目線」のユダヤ人に「自分が正しくて、ガリラヤ人が何にも分かっていない」と分断を煽ること対して警鐘を鳴らします、「人は皆不完全なのに、誰かをスパッと切って全否定するのはどうかな?神様は私たちが不完全でも決して見捨てることはないよ」と。譬え話は「来年は実がなるかも知れません」と言う管理人の寛大さで締めくくられます。
ではそれを聞いた私たちにはどんな意味があるのでしょうか?今の社会にも結構似たようなことがあるように感じます。SNSで、自分の正しさのみを主張し、意見の異なる人を貶める言説を見にする時、辟易します。でも自分の中にも同じ根っこ、つまり「相手は価値がない!だから引っこ抜け!」的なメンタリティがあるのではないかと。
みんな至らない点があります。ですから自分には謙虚さ、他者にはリスペクトを。寛大な神様に倣うようにしましょう。自己の正当性を主張して分断を煽るのではなく、かえって両者の「橋渡し」になるように努めましょう。国内外の政治的な風景にある人種国籍、右・左、保守・革新という分断に「橋を渡す」、これこそが今の社会の病理に必要なレメディーです。
最後にお知らせです。明日15名ドイツ・テュービンゲン大学の学生さんが本校を訪問します。ドイツ語は難しいかもしれませんが、英語で歓迎して差し上げてください。
