『越境列伝 その1 ミケランジェロ』

皆さんはミケランジェロ知ってますよね。言わずと知れたイタリア・ルネッサンスの巨匠です。「ピエタ像」「ダビデ像」などの彫刻有名ですようね。彫刻家であるミケランジェロはまたシスティーナ礼拝堂の天井画や壁画「最後の審判」の作者としても有名です。

 

もともと彫刻家だった彼がどうして絵画も手掛けたのでしょうか。「いやいや、あれだけの才能を持った芸術家だから何でもできたのは当たり前でしょ?」と思うかもしれません。

 

実はシスティーナ礼拝堂天井画を描いたのにはあるいきさつがあるのです。ここからは東京造形大学教授井上英洋(ひでひろ)先生が出演されたNHK「バチカン秘密の宮殿という番組で紹介された内容です。

 

ミケランジェロは時の教皇ユリウス2世に壮大な霊廟、お墓の製作を依頼されていました。彫刻家としての彼の才能を世に知らしめるまたとない機会となった . . . はずだったですが、突如依頼者ユリウス2世は「もう作らなくていい」と急に計画中止を彼に告げます。そしてその代わりにシスティーナ礼拝堂の天井に絵を描けとの命令。彫刻家に絵を描けと. . . 実はユリウス2世の心変わりの背景には彼の才能を妬んだこれまた天才の画家ラファエル一派がからんでいたとかいないとか . . . いずれにしても彫刻家が絵を描かなければならなくなったわけです。彼の胸中いかばかりだったでしょうか。

 

教皇の依頼を断るわけにもいかず彼は渋々この仕事を引き受けました。とは言ってやはり彫刻と絵画は違います。鑿は彼の意のままに動くのですが筆はそうではありません。何度も失敗をし、自分の弟子にまで教えを乞いながらようやく四年後に完成しました。まさに天才画家ミケランジェロが誕生した瞬間でした。

 

ミケランジェロが「自分は彫刻家だから」と教皇の依頼を断っていたら . . . 「やっぱり絵なんか描けない」と諦めていたら . . . 天才画家ミケランジェロは生まれていなかっただろうし、私たちはシスティーナ礼拝堂の天井に全く違った絵を見ることになったかもしれません。

 

なりふり構わず新しい分野に果敢に挑戦したミケランジェロ、弟子にも頭を下げて学び自らの能力を高めたミケランジェロ、まさに彼は「越境した人」と言えるでしょう。

 

ちなみにシスティーナ礼拝堂から数百メートル離れた同じ宮殿内にはラファエロの描いた「アテネの学堂」を見ることができます。その絵の中央やや下に孤高の哲人ヘラクレイトスがいますが、顔よく見るとミケランジェロにそっくりだそうです。システィーナ礼拝堂天井画の素晴らしさに感動したラファエロは絵の中央にミケランジェロを配置したのでしょう。彼なりのトリビュートだったわけです。以上越境列伝その1でした。