「『ディスタンスを縮める』よう招く三位一体の神様」

教会では先日の日曜日は三位一体の神様の祝日でした。キリスト教の神様は三位一体の神様です。祈りで十字を切る時、「父と子と聖霊」と言いますね。三位一体とは「父と子と聖霊のお三方は一人の神様だ」ということです。
 
難しいので体験から入ってみましょう。皆さん、部活や体育祭、サレジオ祭で、最初「距離を感ながら」苦労して、最後に成し遂げた時、打ち上げをしますよね。なぜやるんですか?「やってよかった〜」ってみんなでお互いに感謝するためですよね。これ「心が一つになった体験」ってやつですね。
 
「一体感ってあるよな〜」と思うと、父と子と聖霊が一つであることも「なくはないかも」と思えません?父と子と聖霊の神様はいつも、完全に心が通じ合っていて一つ。神様にはお互いに「心の距離」がないんですよ。そしてその一つの心、愛で私たちを招き、この世界にも「距離のない」一体感を作っていこうと招いておられる、そんな神様です。
 
さて「一体感」、「距離」というと最近は「ソーシャルディスタンス」という言葉をよく耳にしますね。社会生活において対人的な距離を取ることによって感染リスクを下げようというスローガンですね。サレジオの中でも受付やトイレの前にサインがあります。
 
英語のSocial は「社会的な」「社会に関する」という意味です。Man is a social animal.と言いますね。人間は「社会的動物」だからつい群れてしまうけれど、「人々が集う中では社会的な責任を持って」お互い距離を置きましょう、というメッセージです。
 
実は英語ではsocial distanceというより、social distancingという表現がよく使われます。distance「距離を取る」という動詞の動名詞 distancingで「お互いに距離を保ちましょう!」とアクションを促す感じを醸し出しているのでしょう。
 
American Academy of PediatricsのWeb site では”Social distancing only works if we all participate. And slowing down or preventing the spread of the virus will save lives. We all are responsible for protecting those at higher risk.とあります。
 
最後に。今はつい「距離を取る」ことについ意識が向きますが、「あえて」距離を縮めてみてはどうでしょうか?日本に限らず、世界中で「心の距離」が原因の出来事が多発しています。それは偏見、人種差別を原因とする事件です。最近もアメリカでこれが原因といえるような事件がありましたね。
 
たとえ日常生活から「距離のある」出来事でも、思いを馳せ、自分の心を重ねることが大切です。過去に「見かけだけでその人の人格を決めつけて、その人に距離をおいてしまったことがなかったか?」自分に問いかけてみましょう。「差別」「偏見」は一人ひとりの心に「怒り」「嫌悪感」「恐れ」を生み出します。
 
今はソーシャルディスタンスを「縮める時」でもあるのです。