卒業生への言葉

先ほど読んだ聖書はヨハネ福音書15章の有名な箇所です。

「互いに愛しあいなさい、私があなた方を愛したように。これが私の掟である。」とイエス様は弟子たちに教えました。聖書にある「愛する」を16世紀に来日したバテレン、宣教師たちは「ご大切」と日本語に訳したそうです。愛するとは「大切にする」。こちらの方が具体的で分かりやすいですね。互いに愛し合うとは「お互いを大切にする」こと。そして相手を大切にするために、徹底的に自分のできることを捧げる、自分の命までも、これがイエス様の教えの真髄です。

皆さんは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」という作品を読んだことがあると思います。登場人物のカムパネルラは旅の途中でこのように言います。「誰だって、本当にいいことをしたら一番幸なんだねえ。」カムパネルラにとって、そして宮沢賢治にとって「本当にいいこと」とは抽象的な善ではなく、友達のために命を捨てる、という具体的な行為でした。物語の最後の方で主人公ジョバンニはカムパネルラが溺れている友達を助けようとして命を落としたことを知らされます。カムパネルラは身をもって「本当にいいこと」を実行したわけです。宮沢賢治は仏教徒でしたがどこかで今日読まれた聖書の中のイエス様の言葉にも触れたのかもしれません。「友のために命を捨てる」なかなか大変なことはわかっています。今ここで自分にそれができるかは甚だ不安です。でも宮沢賢治は「自分は無力だから」と諦めてはいけないと私たちを励ましていると思います。

20世紀チェコ出身の戯曲家ヴァーツラフ・ハヴェルをご存知でしょうか。彼は文学者でありながら同時に政治家としても活躍した人です。彼は「プラハの春」以降の共産党政権に抗議活動を行い、幾度も逮捕・投獄された人です。彼は一人ひとりの慎ましい毎日の自分の仕事に打ち込むこと、毎日の小さな振る舞いの積み重ねこそが全体主義、大衆を煽動する虚なイデオロギーに対抗する一番確実な手段だと言いました。彼はこう記しています。「自分がいかに無意味で無力であったとしても、世界を変えることができるものだと理解する可能性を、我々は誰もが秘めているのです。」と。

文脈も時代背景も異なる宮沢賢治とヴアーツラフ・ハヴェルですが、等しく自分の日常の慎ましやかな出会いの中で目の前の人を心を込めて大切にしていく心、それは決して無力なものではなく、やがては世界を変えていくそのような力を持っている、と私たちに語っているように思います。

在学中皆さんには事あるごとに「世界の光の当たらない場所で苦しんでいる人の声を聴き、その人に手を差し伸べることができるひとになってください」と言ってきました。卒業式に当たり「互いに愛し合いなさい」と言うイエス様の言葉を少し別の角度から紹介しながら、自分の置かれている場所をしっかり認識し、そこから自分にできることはないかを問い、小さなことから実際に行動を移してく、これがサレジアンの一人一人に託された使命であることを皆さんにお伝えしました。

卒業して行く55期の皆さん、皆さんの前にはより広い世界が待っています。でもそれはグローバルな世界という抽象的な空間ではなく、どこであっても「自分の生きている」世界です。自分の周りにかけがえのない人々が存在している世界です。そしてかけがえのない人を大切にすることによって、世界は変わって行く、そんな世界に飛び立とうとしているのです。「私のように互いに愛し合いなさい」、この言葉をサレジオでの日々と同時に思い出に留めておいてください。

最後に、谷副校長からも卒業おめでとうを伝えてと言われているので皆さんに伝えます。谷副校長にとって皆さんは特別な学年だそうです。中学で宗教を教え、高校で倫理を教えてその間の皆さんの成長のあとを目の当たりにしてとても感動したそうです。サレジオ学院に来るまで谷副校長は一つの学年を中高にわたって教えた経験がなく、教室での皆さんとの数年はとても新鮮だったということです。谷神父様は現在入院中なので卒業式に出席できないのでぜひ伝えてくださいとのことでしたのでお伝えします。

皆さんの卒業式が学校を取り巻く状況により縮小した形でとり行わねければならなくなったことに改めてお詫びします。でも先生たちの心はいつもと同じです。どうかこれからサレジオのことを忘れずに、仲間のことを大切にしていってください。次には20歳のなる皆さんを待っています。