福者 ユスト高山右近殉教者

今日は、日本のカトリック教会では、フィリピンに追放されて、その地で亡くなった『福者ユスト高山右近』を記念して祝っています。

 

1552年、摂津の国(現在の大阪府豊能郡/大阪府北部)高山に生まれました。12歳の時に父親の飛騨守(洗礼名ダリオ)の影響で家族と共に洗礼を受けました。1573年に父ダリオが高槻城主となり、同年続いて右近が21歳で城主となりました。高山右近は、領内での福音宣教を積極的に進めると同時に、慈悲の心を持って人々に接していました。高山右近の影響を受けてカトリックの洗礼を受けた大名や武家たち、その家族が多く生まれました。

 

1587年、「伴天連追放令」に伴い、秀吉からキリスト教を捨てるように強く命じられますが、大名の地位を捨てる覚悟を持って「現世においては、いかなる立場に置かれようとも、キリスト教の信仰はやめない。霊魂の救済の為には、たとえ乞食となり、司祭たちのように追放されても、悔いはない。」と答えたため、追放されました。淡路島、小豆島などを経て、加賀の前田家に保護され、金沢の地で福音宣教に励みました。江戸幕府の「キリシタン禁教令」により、1614年にマニラに追放され、翌年の1615年2月3日にマニラにて亡くなります。自分の信念・信仰を貫いた人でした。

 

(高山右近の列福運動は17世紀から始まりました。終戦後、大阪大司教田口枢機卿により列福運動が再開され、2009年の司教総会から信仰を守るために追放され亡くなった理由で、『殉教者』として本格的な列福運動が始まりました。そして、2016年1月22日に、教皇フランシスコに承認され、列福式の準備が始まりました。2017年2月7日に大阪城公園ホールにて、教皇代理でサレジオ会のアマート枢機卿より福者に任命されました。)