カトリック教会編集の聖書にのみ掲載されている「伝道の書」とも「集会の書」或いは「シラ書」と呼ばれている書物に、「誠実な友達」とはどのようなものかが書かれています。それを紹介しますので、自分にとって「誠実な友達」とは誰かを考えてみてください。そして同時に、自分が誰かの「誠実な友達」になる資質があるかどうかも考えてみましょう。
  

シラ書6章14節~17節 誠実な友
「誠実な友は、堅固な避難所、その友を見出せば、宝を見つけたも同様だ。誠実な友は、何ものにも代えがたく、その素晴らしい値打ちは計りがたい。誠実な友は、生命を保つ妙薬。主を畏れる者は、そのような友を見出す。主を畏れる者は、真の友情を保つ。友もまた、彼のように振る舞う。」これが「誠実な友達」の在り方です。
  

一般的な「友達論」は、同じ6章の別の箇所に次のように書かれています。「友となるべき時に、裏切って敵となる。」当然悪評が広がります。「のどの麗しい声は、友人を増やし、 舌のさわやかな語りかけは、愛想のよい返事を増す。多くの人々と親しく挨拶を交わせ、だが相談相手は千人のうち一人だけに限れ。」と言うように、友をつくる時は、慎重に考えることが勧められます。
  
なぜなら、「都合の良い時だけ友となり、苦難の時は、離れてしまう者がいる。また、心変わりして敵となる友もいて、争いでお前が吐いた悪口を暴露する。食事の時だけ友であり、苦難の時には、離れてしまう者がいる。お前の羽振りが良いと、お前のように振る舞い、お前の召使たちになれなれしくする。しかし、お前が落ちぶれると、背を向け、お前の目から身を隠す。」からです。
  
このような対人関係は、よくあることです。一般的には中高一貫校で過ごす6年間の時の友人は、同じ時間を共有してきたかけがえのない友達になります。互いにそれぞれが誰かの「誠実な友」になって欲しいと願っています。
  
今日も一日、あなた方にとって、良い日でありますように。