昨日の10月6日は、サレジオ会のヴィンチェンツォ・チマッティ神父の命日でした。彼は1965年(昭和40年)に調布サレジオ神学院で亡くなりました。 

 

生前の彼の功績から列福調査が始まり、1977年11月に腐れかかった棺のふたを開けて、二人の医師が遺体の検査を行いました。検案書の記述は「今亡くなったばかりのようだ」とのこと。その後、日本とバチカンで列福調査が継続されています。現在は調布サレジオ神学院の地下聖堂に大理石の棺の中に安置されています。 

 

チマッティ神父は、1879年に陶器の町で有名なファエンツァの貧しい家庭で生まれました。3歳の時に、教会で説教しているドン・ボスコに出会います。それがきっかけで、後にサレジオ会の学校に入学しサレジオ会員への道を歩み始めます。才能豊かな人物で、博物学や農学、哲学の学位を取り、音楽にも豊かな才能を見出していました。後に、ヴァルサリチェ学院の校長になります。彼の望みは海外宣教でした。毎年、上司に願書を出していましたが、やっと、その望みが通ったのは46歳の時でした。 

 

最初の宣教団は彼を含めて6人の神父、3人の修道士が日本を目指しました。船の中で出会った日本の大学の先生から日本語と風習を学びますが、相当大きな衝撃を受けたと書き残しています。 

 

海外宣教は、ドン・ボスコの晩年の事業だったので、宣教の対象者は若者だけではなく、大人や女性、老人を対象とした活動を展開するよう指示されていました。また宣教地の社会状況を見て、豊かな生活を人々に与える為に、事業の展開の優先順位を考えて対応していくように勧められていました。 

 

日本のサレジオ会は毎年10月6日を記念日として祝っています。それは日本のサレジオ会の礎を造り、大恐慌や戦争を乗り越えて、発展させた人物だからです。学校や事業所は最初の宣教師たちの尽力によって作られました。サレジオ学院は、その集大成として創られた学校です。ドン・ボスコの意思とチマッティ神父の愛情が、それぞれの学校や事業所に宿っています。その精神を受け取って、25歳の男づくりを目指してください。