『運は巡って来る、それまで一心に努力しよう』

『それでどんな失敗をしても、窮地に立っても、自分にはいつか良い運が転換してくるものだと、一心になって努力した。』

これは高橋是清のことばです。高橋是清を知っていますか?

 

高橋是清は戦前の財務大臣・総理大臣だった人です。不幸な育ちの割に性格が明るく、周囲の人たちは首をかしげていました。ふつう、人間はかなりひどい不幸に見舞われると、楽観的にものを考えられなくなります。しかし、高橋はそうではなかったのです。

 

彼の生育歴を見ると、実母は15歳の少女で、奉公先の主人との間に是清を産みます。生後3日か4日で仙台藩の足軽高橋家に里子に出され、生母と離されます。実母とは2歳のお宮参りの時に会ったきりで、9歳の時に実母を探し当てた時には、すでに亡くなっていました。

 

1867年、13歳でサンフランシスコに留学、英語で何が書いてあるか分からないのに、簡単に書面にサインしてしまい、奴隷に売られてしまいました。幸い救出されましたが、その後も様々な失敗やしくじりを繰り返します。投資話にのって大損したり、ペルーの鉱山開発で家屋敷を売る羽目になったりしました。しかし、是清は全くめげない、落ち込まないのです。

 

その理由については、是清自身が、「高橋是清自伝」に述べています。足軽の子供が、運悪く藩主の奥方の前に飛び出し、着物を掴んで「おばさん、いいべべだね」と言ったそうです。身分制度の厳しい時代ですので、周囲は蒼白、手打ちかと思ったのです。ところが奥方はその子供をほめて、様々な品を与えました。それ以降、足軽長屋の人々から「高橋の子は幸福者だ」と言われ続けて育ちました。

 

自分は幸福者だという信念が、その頃から心の奥深くに刻み込まれ、どんな失敗をしても、いつか自分には運が巡って来ると信じて努力する癖がついてしまいました。

 

自分は運がいいと思うポジティブに(前向きに)生きる大切さを教えてくれています。

 

今日一日、良い日でありますように。