ルカ福音書はたとえ話の多い福音書です。今日は強盗に襲われた人の「隣人」となったサマリア人が登場するたとえ話を取り上げましょう。この個所で「隣人」と訳されたギリシャ語は本来「近くに、そばに」を意味する副詞ですが、新約聖書では名詞化されて「近くにいる人」という意味になります。

 

「近くにいる人」とは、最初に考えられるのは同国人です。たとえばモーセが仲裁しようとしたイスラエル人が、この言葉で表現されていますが、この言葉が「同国人」という意味を持つのは明らかです。

 

またパウロが各々の善を行い、「隣人(近くにいる人)」を喜ばせるべきだと説いたときは、キリストを信じる信仰仲間を指しています。近くにいる人との接触は日常茶飯の事なので、倫理的なふるまいを説く時に、その相手として「近くにいる人」が取り上げられるのは自然なことです。

 

この聖書の箇所で、律法学者が言う「私の隣人とは誰ですか」という問いかけは、愛の対象となる「近さ」の範囲はどこまでですか。誰までがその範囲に入るのですか。と問うことですが、それは同国人でもあるし、信仰仲間でもあるのです。

 

イエスは律法学者に「強盗に襲われた人の隣人となったのは誰か」と律法学者に問い返していますが、ここで「隣人となる」と訳された言葉は「近くになる、近寄る」の意味になります。

 

イエスは隣人を誰であるかを確定するよりも、『見て』『憐れに思い』『近寄って、近くにいる人となる』ことが大事だと教えています。実は、神様はイエスを通して、私たちに近寄っているからです。