(以下は谷神父様に代わり、定光教頭先生による『朝のはなし』です)

 

皆さんおはようございます。本来、土曜日は谷神父様が「朝のはなし」の当番ということになっていますが、以前榎本神父様からお話があったように今日から時々谷神父様の代わりに他の教員が担当することになります。今日は私の番です。よろしくお願いします。

 

さて、今日は皆さんと一緒にルールについて考えてみたいと思います。ルールと言われると、私たちは何だか自分を縛る面倒臭いもののように感じてしまいます。学校には校則の他にも色々と暗黙のルールがあり、そのような不文律に多くの諸君は戸惑い、反発を感じ、嫌悪します。

 

それでは、一切ルールや決まりのない学校生活や社会を想像してみましょう。全てが自分の思い通りになり、誰からも干渉を受けることのないユートピアを。そのような理想郷は自分にとっては大変居心地の良い場所かもしれません。

 

次に、その理想郷を実生活に当てはめてみましょう。すると全く違う世界観を持った人達が、それぞれの思いや望みをそのまま現実社会の中で実現しようとすることになります。そうすると世の中の秩序はどうなっていくでしょうか。

 

今度は安心や安全という観点からルールについて考えてみたいと思います。現在コロナ禍真只中です。社会では感染拡大を防止する行動が常に叫ばれています。ソーシャルディスタンスを保つとか、マスクを着用するとか、電車の中では静粛にするとか、こうしたルールが守られなくても、私たちは自分の安全を確保し、周りの人たちに安心を提供することができるのでしょうか。

 

運動で考えてみるとどうでしょう。一切ルールのないやりたい放題のスポーツなどあるでしょうか。特に団体スポーツで自分の好きなようにやって良いということになれば、その結果はどのようになってしまうのでしょう。時代と共に進化してきた野球やサッカーなどにも決まったルールがあります。

 

生徒会活動についてみても、毎年生徒会から色々な要望を受けます。かつては昼休みの体育館使用やアイスクリームの自動販売機導入などの要望がありました。「生徒会を中心に生徒自身でルールを決め、自主運営するので許可して欲しい」ということでした。今皆さんが昼休みに体育館が使え、アイスクリームを食べることができるのはこの約束とルールのお陰なのです。

 

このように様に考え合わせると、ルールとは本来私たちに安心や安全を約束し、楽しみや喜びを味わわせ、生活に変化や向上を与えてくれるものだと言うことが分かります。もちろん自分のわがままを縛る窮屈さや、自らに責任を課し我慢を強いるという側面もあります。しかし、こういったものがあるからこそ私たちはルールによって守られ、ルールの中で成長し、結果として様々な事が安心してできるようになるのです。ルールの目的とは、私たちみんながお互いに尊重し合い、お互いに仕え合うというところに(お互いを幸せにし合うというところに)あるのではないかと思うのです。