(谷神父様は現在入院加療中につき、定光教頭先生による寄稿文を掲載いたします。谷神父様の早期退院を願い、お祈り下さい。)

 

日曜日の朝、愛犬と散歩をしていると、今年初めて春の訪れを告げるウグイスの声を聞きました。久しぶりに耳にするさえずりで、なんとも可愛いらしく優しい鳴き声でした。

 

愛犬と散歩をするのは早朝なのですが、少し前までは真っ暗で街頭の灯りを頼りにしなければ歩けなかった道も、今はもう東の空が白みはじめ徐々に曙色に染まっていくパノラマの中で、気持ちよく散歩ができるようになりました。

 

山を見渡せば茶色一色であった風景がいつの間にか萌葱色(もえぎいろ)に変わり、地面にはふきのとうやつくし、スミレ草や菜の花までもが季節の移り変わりを告げています。

 

寒さで凍っていた風にも優しさが感じられ、春一番がそよ風となり、その中に水仙やチンチョウゲの香りを運んできてくれます。もちろん、心地よいことばかりではないでしょう。花粉症の方はもっと敏感に、春のうっとうしい訪れを体感しているかもしれません。いずれにせよ季節は巡っています。

 

春の花を話題にしましたが、彼らは何を便りに自分の時を知るのでしょう。科学的な説明はつくのでしょうが、毎年不思議に思うことです。狂い咲きということもあるかもしれませんが、大抵は、春になれば春の花、夏になれば夏の花、という具合にそれぞれの季節に彼らは自分の咲く時を知ります。そして精一杯賢明に与えられた時を謳歌しようとします。彼らの間には一切の比較や競争はありません。ただ、自分が自分であることに徹し、自分であることを凜として主張し、そして、与えられた時間を咲き誇り、その一生を終えていくかのようです。全てが調和と秩序のうちに行われます。

 

異常気象という言葉があります。我々が近年経験するようになった温暖化やゲリラ豪雨、干ばつや「○○年に1度の〜」という表現もその現象の1つでしょう。しかし、自然の側からすると、それはひょっとしたら異常ではなく正常に戻ろうとする厳粛な営みなのかもしれません。

 

私たち人間は自分たちの暮らしをより快適にするために、自然に働きかけ、自然を利用し、或いは破壊し、結果的に自然を乱用してきました。調和を乱し、秩序を破壊してきたのは人間の側なのです。そのような中で、自然は本来あるべき姿に自分を戻し、悠久の時の流れの中で育まれた完全な調和に戻ろうとしているのかもしれません。私たちにとって不都合な現象も、自然にとってはあるべき姿にもどろうとする当たり前の循環なのかもしれません。

 

自然は様々な様相を私たちに呈してくれます。ただし、彼らは自らの意志を持って人間に復讐しようとしているのではありません。いくつかの事象はあくまでも自然の営みであって、それ以上のものではありません。しかし、自然の営みの中に秩序と調和を与えた存在は、その営みを通して私達に常に働きかけています。そして、いつも自然を通して私達に恵みと喜びを与え、常に愛を持ち語りかけてくれています。人間も本来の姿に、人間が人間らしくある状態に戻りなさいと。