2013年11月27日

装う

先日、あるコラムを読んでいたら、次のような言葉に出会いました。

「装うとは、着る人間の個性に合ったものであるべきである」という従来の考えに、私はまったく賛成しない。「装うとは、着る人間がどのような個性を生きたいかで、決まるものだ」と私は信じている。だからこそ、素晴らしいのだ。

 

通常、服を選ぶときには自分の個性にあった服を選ぼうとします。

それが自分に似合っていると思うからです。

一方、自分はこうでありたいという個性に合わせて服を選ぶと、初めはしっくりこないかもしれませんが、だんだんと似合うようになってくるものです。中身の人間のほうが変わってくるわけです。

 

このように考えると、制服を着るということには、どんな意味、また、効果があるのでしょうか。

 

制服は、皆さんが真のサレジアンになるための、ひとつのアイテムです。

制服を着なくてもサレジアンであることに変わりはありませんが、制服はある意味、みなさんがサレジアンであろうとするときの、ひとつの助けになっているのです。

制服を着るたびに、「自分はサレジアンである」「サレジアンでなければならない」という自らのアイデンティティーを確認するのです。

 

北川純二