先の日曜日から教会は待降節という季節に入りました。クリスマスまでの期間、キリストを迎える心の準備をするわけですが、具体的に何を準備しましょう。ケーキや七面鳥の予約?あるいは期末試験の準備でしょうか?受験生の中には無駄なお祭り騒ぎと断じて切り捨てている人もいるかも知れませんが、今日は「救い主の誕生と相応しい準備」について再確認して行きましょう。
  
 神は望まれました。あなたが苦しむ時に一緒に心を痛めたい。あなたが悲しむ時に一緒に泣きたい。そして、あなたが喜ぶ時に一緒に喜びたいと…。(悲しみや痛みはパスして、喜びだけを共有するわけには行きませんからね。)ですから、神様は人間の弱さを身に帯びる必要がありました。神のままでは人間の苦しみを体験できないからです。神がわざわざ人間になるのは、そういう理由です。
  
 そして、救い主の誕生を待つとは、このような神の御心に応えていくことです。「あなたがつらい思いをしているなら、わたしも一緒に胸を痛めていいですか」という申し出に「一緒に苦しんでください」「一緒に泣いてください」と応答していく。差し伸べられた手を掴み取る決心を持つ。それが、救い主の誕生を待つということです。
  
 ですから、この時期、自分の苦しみを捧げてみて下さい。痛みを吐き出してみてください。たとえそれが愚痴であっても、神を呪うかのように響いたとしても、大丈夫!神様は余裕の塊です。あなたの苦しみを体験したら、きっと喜びを共有してくださるでしょう。
  
 救い主を喜ばせる唯一の方法は、「救われて差しあげる」「救わせて差しあげる」ことだからです。