今日は神父さんらしく、聖書について話しましょう。まず聖書って一体何でしょう。…というのも、世の中には「聖書の大予言」とか「聖書に隠された暗号」とかいったセンセーショナルな謳い文句の本が溢れているので、コロッと騙されたりしないように、皆さんには基本を押さえておいて欲しいのです。

 さて、聖書自体を信じていない人が、何で「そこに隠された暗号」とか「暗示されている予言」とかだけは信じる気になるのか、まったく理解できないわけですが、そもそも、聖書は①誰が②誰に向けて③何の目的で書いたのか。…書店で本を選ぶ時の、当たり前すぎる大前提ですね。確認しましょう。

 聖書は①教会が②教会に向けて③教会であり続けるために書きました。ここで言う教会とは、信者の集合体のことですが、簡潔すぎて物凄く言い足りていません。とにかく、聖書は本来「教会の財産」であり、聖書に権威を与えたのも教会です。ですから、教会に属さない人々、つまり、聖書を信じない人々が聖書を使って好き勝手な解釈をしたとしても、それは全くのお門違い。議論にすら値しない。

 にも拘らす、たやすく騙されてしまう人が絶えないのはどういう訳でしょう。それは、彼らが聖書を知らないからです。関心はある一方で、知らなさすぎる。人は、知らないものに必要を感じないものですが、知らないということは、縛られているに等しい。選び取る自由を持ち合わせていないのが、「ものを知らない」ということです。見えていないものは拾うことができないし、掴んでいないものは手放すことができない。騙されるというのは、騙されていることに気付けないということ。対抗するためには「知る」ことが不可欠なのです。