元気づけるのも傷つけてしまうのも

言葉

言葉には力があります。聖書にはこのような記述があります。

「わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げわたしが与えた使命を必ず果たす。」(イザヤ書55:10-11)

これは神御自身の言葉が持つ力について語られたものですが、日本にも古くから言霊思想というものがあって、これは神に限らず、誰であれ何か言葉を発したら、それが自然や人間などに何某かの影響を及ぼすという思想です。

それが良い言葉であれば良いことが起こり、悪い言葉であれば災いを呼び起こすと信じられているのですが…、果たしてこれは迷信でしょうか。

それとも人々が様々な出来事を見聞きし、体験してきた中で培われてきた「説得力のある言い伝え」として捉えるべきなのでしょうか。

 

この問題に答える前に、ドン・ボスコの言葉を一つ紹介しましょう。

「隣人については、肯定的に語るか、まったく語らないかのどちらかにしなさい。」

もし仮に、あなたが誰かについて否定的な発言をしたとしましょう。

その瞬間、その言葉はあなたの手を離れて独り歩きを始めます。

マイナスのエネルギーを持ったまま、人から人へと渡り歩き、それらの人々の心と口とを汚し続け、巡り巡って再びあなたの耳に入るときに、あなたはこう思うかも知れません。「やっぱり、みんなも私と同じ意見だ。」…あとはグルグル回るだけ。恐ろしいことです。

 

神様が私たちに言葉を与えて下さったのは、一体何のためか。

今日あなたは、人を慰める言葉と、人を傷つける言葉のどちらを多く語ろうと思いますか。人を勇気づける言葉と、人を落ち込ませる言葉のどちらを多く語ろうと思っていますか。人を褒める言葉と人をけなす言葉の、どちらを多く語るつもりですか。考えても見ませんでしたか。では、決心しましょう。今日から毎日・毎朝。

 

榎本飛里