未来塾 プレゼン大会で感じたこと

火曜日に「未来塾」の発表会がありました。

通常4~5人のグループで行われる発表ですが、

あるグループは、4人の中3人までが体調不良のために欠席。

発表用に準備しておいたデータも現場には届いていませんでした。

このような困難な状況において、あなたならばどのような決断を下すでしょうか。

選択肢は二つ。一人で、口頭のみでプレゼンテーションを行う、

若しくは「不測の事態」としてプレゼンテーションを中止する。

彼の下した決断は前者。

たった一人でこの困難に果敢に立ち向かい、

十分に聞き応えのあるプレゼンテーションをして見せたのです。

極めて英雄的な姿に感動を覚えました。

彼の、その決断の裏に、どのような心の動きがあったのかは想像の域を出ません。

責任感でしょうか、研究成果や主張を人々に伝えたかったのでしょうか。

その他にどんな思いがあったか、ちょっと忖度してみてください。

そして、同じことができるかどうか自問してみましょう。

出来るとしたら、その根拠は?出来ないとしたらなぜ?

今回、彼がそのことを意識していたかどうか知る由もありませんが、

この英雄的な行為は「欠席した人々の責任を問わない」という側面を持っています。

もし発表が流れてしまえば、本来その責任は4人全員にあるにしても、

「他の3人が欠席したから」という主張は、多くの人々に受け入れられるでしょう。

ところが、彼はそれをしなかった。たった一人になっても責任を果たした。

そしてその結果、3人は発表が流れたことに対する責任を負わずに済んだのです。

あとは「一人で発表をさせてしまってごめんね…」でおしまい。

これは大きな違いです。
彼は仲間の負債を帳消しにした。

本人は全く意識していないしょうが、

これはまさに、キリストの救いを体現しています。

「さすがサレジアン」と唸らされる出来事でした。