今日は葉柄の話から始めましょう。「ようへい」というとフランス外人部隊を思い浮かべる人もいるかも知れませんが、今日話題にするのは、葉っぱの根元から突き出たあの部分。落ち葉を拾うとき、大抵の人は葉柄の部分をつまみます。そして何故かくるくると回したくなる。あの葉柄です。
 葉柄にはいくつかの役割・働きがあるようですが、その一つに「葉が日差しを効率的に受けられるようにする」ということがあります。ほとんどの葉は自分より上の葉に光を遮られている訳ですが、それらの葉に「邪魔だからどけ!」と要求したり争ったりすることも無く、葉柄が伸びたり曲がったりすることによって少しだけ体(葉身)をよけ、ほかの葉と旨く折り合いをつける。
 実は、自然界を見渡すとこのような「折り合いのつけ方」は随所に見られます。そして、かつて「生存競争」というキーワードの陰に隠されてきた「共生」という視点が見直され、自然界の「他者と折り合いをつける姿」から学ぼうとする思想が広がってきています。競争原理を徹底的に貫くのではなく、他者と折り合いをつけ、尊重しあいながらも個々、自分を活かし、自分なりの世界を築いていく…。ある種、理想的なやり方ではないでしょうか。しかし、理想的と分かってさえいればそれが実践できるほど人は強くはないし、物事は単純ではありません。
 たとえば、今の皆さんの生活において、試験・成績評価・受験・試合といったものは避けて通れないものですが、これらの事柄はどうしても人の心を競争原理へと引き戻そうとします。本来多様な個性を持っている多くの人々を、同じ一つの土俵で勝負させるあらゆるシステムには、どうしてもこの危険が伴うのです。競争原理が全てではない。それだけではいけない。…それは分かっていても、よほど強い心を持っていないと自己中心的な考え方を「抱かされて」しまいます。受験や試合が悪い訳ではなく未熟なとらえ方が悪いのですが、多くの人が未熟であればそれがスタンダードになるものです。
 人と競うことには大きな意味があり強さを要求されるものですが、必ずしも、競わない姿勢が逃げであり弱さを象徴するものでもない…ということを覚えておいてください。そして本当の意味で強くあって下さい。