「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイ5,48)一昨日の母親聖書研究会で取り上げました。『マルコ』や『ルカ』には出て来ない「完全な者になれ」というフレーズをマタイが強調する背景については、宗教科の先生に聞いてみてください。

 

 ところで、神さまは人間を敢えて不完全に創っています。つまり、人間の不完全性には、神さまのメッセージが込められている。人間が、その不完全性をどのように捉え、どのように取り扱うかを見守っておられる…と言い換えても良いでしょう。ところで「あなた方も完全な者となりなさい」というフレーズ、正確に翻訳すると「あなた方も完全な者たちとなりなさい」となります。つまり、個人としての完全性ではなく、集団としての完全性が求められている…と解釈することもできるのです。では、集団としての完全性とは何でしょうか?

 

 たとえば、個々のメンバーに完全性を求める共同体は、長続きしません。内部にいざこざが生じ、やがて崩壊していきます。一方で、メンバーの不完全性を受け入れられる共同体、誰かのミスを皆でカバーしたり、落ち込んでいる人々を皆で支えたりする共同体は絆が深まり、共同体としての完成度を増し、繁栄していくものです。

 

イエスさまは教会に神の国の完成を委ねました。神の国というものは、決して一人では築くことができません。個々の人間は不完全だからこそ、手を取り合うことができるのです。