前回、中学1年生によるトルコ・シリアへの募金活動に言及した際「受けるよりは与える方が幸いである」Act.20,35という聖書の言葉を引用しました。募金をする1年生と献金をする先輩方それぞれの立場から、この聖句(聖書のことば)を味わったのではという話でした。

 

聖書では、一般的な考え方と少し違う表現が使われることが間々あり、違和感を覚える人もいると思います。なるほど「受けるより与える方が幸い」という表現は逆説的ですね。だからと言って「結局、自分の幸せのために与えるの?」と反発するのは、…まあ、間違ってはいないのですが、ポイントがズレています。なぜなら、幸いというものは「自分だけの幸い」と「他人だけの幸い」に完全に切り分けられるものでは無く、「他人の幸いが自分の幸いとなり、自分の幸いが他人の幸いとなる」という風に、両者の幸いが交じり合い混然一体となる状態が真の姿(=真の幸い)だからです。

 

この「交わりと一致」というのはキリスト教の肝の部分ですから、是非、押さえておきましょう。テストに出ます。(いや、出ませんが…)今日は、この交わりと一致の理解を深めるために、通常とは違った切り口で「受けるより与える方が幸い」を解釈してみましょう。こんな感じで。

 

「受けるより与える方が幸い」ならば、多くの人々を幸せにするために、人々の優しさをたくさん受けよう!たくさん優しくされ、たくさん労われ、たくさん評価され、たくさん愛されよう。自分を大切に思ってくれる多くの人々を幸せにするために。