さて、前回始まった「自分で考える」シリーズですが、いよいよ最終回を迎えました。皆さんお元気ですか?期待させておいて…期待されているかどうかは別として、シリーズ第2回が最終回だなんて!と思うかも知れませんが、「自分で考えるためにはどうすべきか?」なんて話をありがたく拝聴遊ばされれば、それこそ自分で考えない習慣を助長してしまうではないですか。畢竟、今回で最終回にします!

 

突然ですが、聖書には「私は〇〇である」というイエスのセリフがたくさん出てきます。いくつ知っていますか?高校生なら34つは思い出して欲しい所ですが、たとえば「よい羊飼い」とか「真のぶどうの樹」とか「道・真理・命」とか…。これらは「イエスとは何者であるか」を、たとえで分かり易く表現した、いわゆる「模範解答」。つまり、用意された正解です。一方、こんなくだりもありますね。「人々は私のことを何者だと言っているのか?」弟子たちが様々な答えを示すと、イエスは続けます。「それでは、あなた方は私のことを何者だというのか?」つまり、自分なりの答えを見つけるように促しています。一方で模範解答を示しつつ、もう一方では独自の見解を要求している。ここが胆です。

 

周囲の意見や「模範解答」に耳を貸さず、独りよがりに物を捉えることは「考える」とは言いません。反対に、「模範解答」や周囲の意見に飛びついてしまう姿も頂けない。大切なのは、①耳を傾けること&②簡単に満足してしまわないこと。「あなたの視点」は一点物の、とても貴重なものであるということを理解しましょう。人類の未来のためにも、決して蔑ろにはしないでくださいね。