『目的:何のために?が大切』

サレジオ祭、お疲れさまでした。私はここ数年、サレジオ祭当日にはCommunication Roomに張り付けになっていて、展示や発表をゆっくりと楽しむことが適わなかったのですが、今年は質の高いコンテンツを、隅から隅までじっくりと楽しむことができました。これも、実行委員をはじめ、彼らの熱意に応えようと素晴らしい内容を準備・提供してくれたみなさんのおかげです。本当にありがとう。

 

ところで、サレ祭終了直後、幾人かの生徒に労いのメールを打ったのですが、その返信が「謙遜と感謝とに満ちていた」ので、更に感心させられました。実はこれ、大きな行事の後に良く見られる現象で、「本物の努力を成した男たちが結果を出したときに見せる美しさ」の一つです。

 

本当に力を出し切った人は自分の限界を体験します。つまり、自分がいかに小さな存在か、いかに多くの人々の支えが必要だったかを知り、それまで気づかないでいたサポートまでが見え始める。更に、大きな目的を前にして「我を張る」ことの愚かさや、小さな一人が大きなカギを手にしていることも体験します。

 

世の中には「自分一人の力で大きなことを成し遂げた人を英雄視する」傾向もありますが、サレジオで評価したいのはそこではありません。より大きな目的のために手を取り合って、頭を低くして、そして、最後の一人まで受け入れ合って「みなでゴールする」こと。

 

「何を成し遂げたか」よりも「何のためにそれを成し遂げたか」から評価していきたい。この「何のために」の部分を決して譲らなければ必ず結果を出せる、ということは皆さんがサレジオ祭で証明してくれた通りです。

 

本当にありがとう