サレジアニタ=サレジオ精神の根底にある考え方の一つに、「誰一人として排除しない」というものがあります。しかし、これを徹底することは、決して容易ではない。そこで、夢物語だと笑ったり、限界があるでしょう?などと言ってハードルを下げたくなる。それでも、サレジオ学院では諦めません。一見非現実的に見えるこのような考え方が、神様からの課題であると信じるからです。

  

 一方で、世俗的な考え方は随分と違います。グループや集団に旨く溶け込めない人に対し、和を乱すなとか、足手まといだとか、迷惑だとか、果てはあいつさえ居なければ、とか言う言葉が普通に聞かれる。人は頻繁に耳にする言葉に影響されるものですから、サレジオでもそういう雰囲気になることはあり得ます。「誰一人排除しない」などと謳ってみても、気がつけば理想を手放し、少しずつハードルを下げ、責任をその人一人になすりつけ、情け無い自分を正当化してしまう…そんな誘惑はいつでも纏い付いてくるものです。だから何度でも神に立ち返り、何度でも仕切り直す必要があるのです。

  

 ここで、今一度確認させてください。群れの中の誰かが問題を抱えていたら、それは群れ全体の問題です。誰かが心を痛めていたら、それは群れ全体の痛みです。誰かが傷ついていたら全体が憂い、誰かが泣いていたら全員が悲しむ。叫びたい者がいれば耳を傾け、倒れそうな者には肩を貸し、誰一人として孤独に引き渡さない。それがサレジオの心です。肝に銘じておきましょう。援ける際も、また頼る際でも。