2025年10月16日
パンとサーカス
古代ローマ帝国では、皇帝が市民に対してパンとサーカスを保証しました。つまり、食べ物と娯楽を与えて庶民を愉しませておけば、誰も皇帝に対して文句を言わなくなり、コントロールしやすくなるという発想です。逆に言えば、食べ物と娯楽という餌に釣られて騙されてはいけないという現実を教えてくれる歴史の教訓でもあります。
最近読んで面白かったのが、島田雅彦『パンとサーカス』(講談社文庫、2024年)です。日本を「奪回」するために戦うテロリストたちのエンターテインメント(冒険物語)です。哲学者で武術家の内田樹さんが次のように解説しました。「戦後日本が抱え込んでいるトラウマである『アメリカの属国』という屈辱的なステイタスから身をふりほどき、国家主権の回復、『自由日本』の創建をめざして戦うテロリストたちの冒険譚なんですから、痛悔でないはずがない。(略)今の日本人にもっとも必要なのは秩序を紊乱することができるほどの想像力の暴走である。島田さんはそう考えてこの小説を書いた」(693頁)。
パンとサーカス、つまり食物と娯楽は相手の心をつかんで仲間に引き入れるための確実な手がかりとなるものです。皆さんも、食事や娯楽を与えてくれる他人についてゆく場合があるかもしれません。しかし、人間というものは食物や娯楽に飛びついてしまい、おごってくれる相手の本音を確かめないで、その後もしがらみに引きずられて後悔しがちです。結局は、いかなる場合でも冷静に相手の心の底を推測しつつ本音を確かめる努力を怠らないことが大事です。信頼できる相手には徹底的についていっても損はありませんが、裏切る相手には徹底的に気をつけなければなりません。そういう「相手に対する適切な態度の選び方」を想像させるシュミレーションとして小説は役立ちます。