2025年06月26日
「こころ」を見直す——教皇フランシスコの本音
明日6月27日(金)は「イエスのみこころの祭日」です。ローマを本部とするカトリック教会の伝統です。イエス・キリストのみこころとは、特に「苦しみ悩んでいる相手に手を差し伸べるやさしさ」です。「相手を助けたいという気持ち」です。
2013年に教会の指導者に就任した教皇フランシスコが12年間一貫して述べてきたことが「こころを大切にしましょう」という本音です。教皇は、あらゆる機会に「こころの重要性」を物語ります。「世界広報の日のメッセージ」でも「あなたがたがこころにいだいている希望をおだやかに分かち合いなさい」という主題を扱われたことがあります。
「こころ」にはいくつもの意味が隠されています。①「人間の内側にある目に見えない中心」、②「目に見えるなまみの物体的な心臓」、③「物事の精神性」、④「相手との関わりにおける奥深い想い」などです。全部連続しています。こころを見失ったこの社会のなかで、私たちはこころある人間になるように毎日の勉強を続けます。こころを鍛えるのがカトリック学校の目的です。こころのこもった親切を受けたとき皆さんも嬉しいでしょう。逆に、誰かを助けたときにもこころが温かくなります。こころが大事なんですね。
最後に、教皇フランシスコがイエス・キリストのみこころと私たちのこころを重ね合わせることを勧めている回勅『主は私たちを愛した』(Dilexit nos)の11項を引用します(阿部訳)。——「もしもこころを軽視すれば、こころから話すこと、こころで行動すること、こころを育んで相手をいやすことの意味もまた必然的に軽視することになります。こころの特別さを理解しなければ、こころでしか伝えられないメッセージを見逃すばかりか、他者との出会いの豊かさも見逃すことになり、歌を口ずさむゆとりも失います。そればかりか、歴史や自分自身の過去までも忘れることになりかねません。なぜなら、私たちのほんとうの個人的な人生の歩みはこころでこそ築かれるからです。人生の終わりには、こころだけが重要になります」。