2022年01月08日

学校長の話@3学期始業式(放送)

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 

さて今流れている曲はオリヴィア・ロドリゴのdrivers licenseという曲です。この曲は一人の女の子の運転免許を取った時の失恋を謳った曲です。

 

少しこの曲の背景を説明しましょう。アメリカでは高校生で運転免許が取れるのですね。そして車を運転できることは高校生にとってとても大きな意味を持っています。それまではどこに行くにも、それこそボールペンを買いに行くにも親に連れていてもらわなければなりません。アメリカ広いですから、よほど大都市でないと歩いて行ける距離にコンビニはありません。でもこれからは自分で行きたい時に行きたい所に運転して行ける。運転免許は自立のきっかけ、大人としての第一歩、キラキラした瞬間なわけです。

 

彼女にとっても人生最高の日となるはずでした。大好きなボーフレンドを最初に隣に乗せて家まで送ってあげるね、と約束していたのですから。でもその日、彼女は一人ぼっちで運転しながら、彼の家の前を通り過ぎるわけです . . .

 

You said forever, now I drive alone past your street.

(あなたは永遠の愛を誓ったのに、私は今一人であなたの家の前を通り過ぎているわ。)

サビのリフレインが秀逸です。

 

曲中、淡々と語られる情景の行間にそっと彼女の心を表すエピソードが挟み込まれています。それでも、いやそれだからこそ彼女の失恋の痛みはひたひたと聴く側に押し寄せてきます。「この曲刺さる〜〜〜」しばらく感慨に耽っていて、ふと我にかえり思ったんです。「えっ、なぜ自分は共感してるんだ?」「女の子の気持ちが分かったつもりになってるおっさん、キモっ」という覚めたもう一人の自分の声まで聞こえてきました。だってそうですよ、自虐じゃないけど自分60ですよ。そう思いません?まぁ突っ込まれるのを覚悟でこの話をしているんですけど。

 

で、気を取り直して「『共感する』とは何だろう?」とあえて理性的に考えてみました。そう今日のお題は「共感するとは?」です。「共感するってcompassionだから feeling together だろ」と言われればそれまでですが、しばらくお付き合いください。

 

まず、「共感する」とはこの「私」自身の中で呟いているモノローグではありません。伝え手の「語り」が聞き手の私に届くわけで、もう一人の「私」である作者とのダイアローグが共感です。ちょうど音叉が二つ並べてあり、一つを叩くともう一つが共鳴して自然と鳴り出す。共感とは心の共鳴とも言えるでしょう。語り手と聞き手がそれぞれ自分を超えて思いを届けあう「越境」でもあります。

 

ただ面倒なのは、語り手と聞き手の間に、作品が介在しているということです。作者の語りは登場人物の語りとして聞き手に届きます。読み手である私が「私」であることは自明です。また作者も普通はっきりしています。今回はロドリゴです。では登場人物としての「私」はどうでしょうか?登場人物の「私」とは誰でしょうか?誰がそれを決めるのでしょう?どうです?だんだん話がややこしくなってきたのが分かりますか?

 

drivers licenseを聴いていて自分がオハイオ州やカリフォルニア州にいた時の街の情景が自然と思い浮かびました。でもそれは私個人にとっての印象であり、皆さんにはまた違ったその人なりの印象があるでしょう。聞き手の体験が違えば、曲の印象も違います。極端な話、曲中の「私」が誰かという解釈は聞き手の数だけ存在しているとも言えます。

 

しかも聞き手が共感している曲の中の「私」は必ずしもオリビア・ロドリゴが語りたい「私」と同じとは限りません。drivers licenseがリリースされた頃、オリビアの失恋がメディアで取り沙汰されていました。なので、曲の中で「失恋の痛み」を感じている「私」はオリビア自身かもしれません。しかし同時にオリビアとは別のフィクションとしての「私」である可能性もあります。オリビア自身が語っていない分解釈は如何様にも広がっていきます。

 

このように曲の「私」は、オリビアの「私」の意図を超え、聞き手の「私」との対話が起こるたびに身近なものとして新たに生まれる存在と言えるのではないでしょう。この曲が10億以上再生され、多くの人の共感をよぶ理由もこの辺にあるのかもしれません。

 

まとめてみましょう。

1番目。共感している場では、語り手の「私」、聞き手の「私」がそれぞれの思いや体験の中で自らを超え、共鳴しあっている、つまり「共感は越境」です。

2番目。共感が起こっている場では、さらにもう一人登場人物の「私」も存在し、書き手と聞き手の解釈を前提としながらも、その度に新たに生まれる存在として自己を越境し「自分語り」を始めているわけです。

 

皆さんが「共感する」とき、このように3人の「私」が越境しながら、響き合っているわけです。60のおっさんがオリビア・ロドリゴのdrivers licenseを聴き、涙しながらも、「共感は越境だ!」と現象学的に叫んだことを共有させてもらいました。皆さん、共感していただけたでしょうか。

 

さて次に表彰をしたいと思います。この冬休み中に様々な活動で活躍した生徒諸君の名前を読み上げたいと思います。(中略)皆さん拍手お願いします!

 

さて今日はお父さんがたが焼き鳥を皆さんに振る舞いたいということで準備をしてくださっています。「親父の焼鳥、リターンズ」です!ありがたいですね!すでに申し込んだ人もこれからという人も是非堪能してください!