朝の話|鳥越校長
2025年11月03日
「コピー」的なカオナシのおはなし
今回のハロウィンはカオナシでした。「校長、とち狂ったか?」と思ったでしょう?いやいや、深〜い理由があるんです。もちろんカオナシとは宮崎駿監督スタジオジブリの「千と千尋の神隠し」のキャラクターですね。
実はカオナシには10月のテーマ「オリジナルかコピーか?」に繋がるメッセージがあるんですよ。さっそく、カオナシのキャラクター分析をしましょう。
カオナシは英語版ではNo-face, 「顔がない」。彼の、能面のような、表情のない無機質な顔は、彼が「自我を持たない」ことを表しています。アイデンティティの欠如、自己同一性の希薄さ、主体性の欠如とも言えます。
そして、自分が空っぽだから、誰かに依存するしかなく、誰かに認めて欲しくて周りへの過剰な同調をしてしまう。これはまさにカルロ・アクーティスの言うコピー的あり方そのものでしょう。カオナシが油屋で人々の渦巻く欲望をどんどん吸い取って怪物になってしまう展開も示唆に富みます。自分が何者か、何者になりたいか、何者になるよう招かれているのかを求めず、マジョリティに同化し、コピーとなるとき、自我は逆に暴走を始める…
では、千尋はどうでしょう。油屋で湯婆婆から無理やり千という名前に変えられたところから、忘れてしまった自分のアイデンティティ・千尋を求めて彼女の旅が始まります。カオナシも「抗う」千尋に連れられ、自分探しをしていきます。
今日は「主体性の欠如がもたらす負の自己増殖の危機、コピー的なカオナシの場合」と題してお話ししました。たかがハロウィンの仮装と思うこと勿れ、この鳥越も色々考えてはいるのです!
ちなみに、英語のパーソナリティの語源はギリシャ語でペルソナ、仮面です。カオナシ、なかなか考えさせてくれますね。
