心に翼を 中宮彰子に受け継がれた紫式部の漢文の知識

さて先週の話の続きです。

 

理想と現実、「身」と「心」の葛藤に悩む女性が誰だかわかりましたか?  その人とは紫式部です。『源氏物語』の作者ですね。紫式部は『源氏物語』以外にも『紫式部日記』、和歌集の『紫式部集』の著者でもあります。

 

先週紹介したお父さんからの心無い言葉や先輩女房からの仕打ちについては『紫式部日記』に書かれていますし、先週紹介した和歌は「紫式部集』の句です。

 

「大した身分でもない自分の身だもの、現実が思い通り、心の願い通りにはならないのも仕方がないわ。」と嘆いた句の次にはこんな句があります。

 

心だに いかなる身にか かなうらむ 思いしれども 思い知られず (56)

 

解釈は色々あると思いますが、ここでは山本淳子先生(『源氏物語の時代』朝日新聞社)の意見に従ってこんなふうに解釈してみました。「現実に従うのも、従わないのも心の自由。心は現実に従順なだけではない。現実など振り捨てて飛び立ってしまおう。」心に翼を。この気持ちがあったからこそ『源氏物語』が生まれたのではないでしょうか。

 

ところで、彼女の漢文の知識は役に立たなかったのでしょうか。実は紫式部はお仕えしている一条天皇のお后様中宮彰子にこっそり漢文の手ほどきをしていました。漢文は文学ですが、同時に為政者の心構えも語っています。中宮は漢文を通して正しい権力者のあり方を学びました。漢文を通して政治を学んだ中宮は後に87歳という長寿を全うし、二人の天皇の母親、太皇太后として摂関政治の中枢で権力を極め、その後に始まる院政への橋渡しをする大役を担いました。上東門院彰子の中で育まれた紫式部の漢文の知識こそが日本史を大きく前へ動かす原動力となったと言えませんか?

 

紫式部のお父さんの藤原為時もきっと「あの時『男でなくて残念』なんて言ったなんて了見が狭かったのだろう。紫式部が女性で本当に良かった!」と言っているかもしれませんね。