「性格や生き方を変えることが出来るか」という話をするときに、山本周五郎の「百足違い」という作品を引用しています。話の内容は次の通りです。

 

『時は武家時代の話、せっかちな父親が、せっかちが故に時々仕事を失敗したことがありました。せめて息子を自分のような「せっかち」な人間にしたくないと思い、知り合いのお坊さんに息子の教育を託しました。そのお坊さんは中国で20年以上も修業した高名なお坊さんでしたが、近所では「ぐうたら和尚」で通っていました。その和尚は件の息子をかわいがり、とっておきの処世訓を伝授します。それは『参つなぎの処世訓』です。

 

「全ては『参』でつながっている。天と地と人、火と水と空気、人間は冠と婚と葬、顔は鼻と目と口、みんな「参」でつながっている。」と言い、「男が本気で怒るようなことは全くない。お前はどんなことが起きても怒ってはいけない。もし、相手をぶん殴りたいと思ったら、三日我慢しろ。それでも腹がおさまらなかったら、三十日我慢しろ。それでもだめなら、三か月我慢しろ。それから更に3年我慢して、それでも我慢できないなら、そいつの所に行って聞いてみなさい。どうして、あの時、自分をあんな目に合わせたのか? まあ、それで大抵のことは収まるものだよ。何事も我慢、急ぐな、騒ぐな、ジタバタするな。」と。

 

そして三日、三十日、三か月、三年待つという処世訓通り人生を歩みました。そうすると世間の人は、ちょっと融通の利かない人を「一足違い」と呼ぶのに対して、あまりにものんびりしているので周りから「百足違い」というあだ名をもらってしまいました。

 

更に皆が出世するのを見て、ついに和尚に苦情を言うと、「あせるな、急ぐな。30歳まで我慢しろ」と言われ、処世訓通り徹底して歩み始めました。29歳の時に藩主のそばに上げられ、御用掛に任命されました。彼が受け継ぐ仕事と畑違いの仕事で、とても奇妙な人事でした。それでも、その仕事に熱心に取り組みました。

 

翌年、藩主と共に、五年ぶりに帰国しました。そこで、五年前の侮辱した相手の家を探し出し、文句を言いに行きました。ところが侮辱した5人の同僚は、そのほとんどが酷い人生を送り、ある者は死に、ある者は藩から放逐されたり、脱藩したりしていたのです。

 

後日、この息子は藩主に呼ばれ、側用人に推挙されました。和尚の教えを守り通した結果、周囲の評価は、どんな場面でも、物おじしない器の大きな人物と評されるに至ったのです。』

 

性格や人生の歩み方は変えられるものです。良い教えを参考に歩むことが豊かな人生を切り開くきっかけになることでしょう。