先日、Communication Roomで遊んでいたサレジアンたちと一緒に、「主の祈り」を唱える機会がありました。近くのカトリック校で起きた悲しい出来事から6年目にあたる日だったこと、そしてサレジオ学院にも辛い歴史があることを伝え、その関係者や被害にあった方々のために、心を込めて祈りました。小さな祈りではありましたが、皆が静かに心を傾けてくれました。
サレジオ学院はカトリックの学校ですから、もちろん「祈る心」を大切にしています。でも中には、「祈る意味がよくわからない」という人もいるようです。たとえば、「一生懸命祈ったのに願いがかなわなかった」といった体験から、「祈っても無駄だ」と思ってしまうこともあるかもしれません。もしかしたら、祈りがどんな力を持っているのかを実感する前に、あきらめてしまったのかもしれません。
今日は、祈ることで得られる恵みの一つをご紹介します。それは、「自分が誰かのために心を込めて祈っていると、誰かもきっと自分のために祈ってくれていると思えるようになる」ということです。
祈りとは、手を合わせたり、ひざまずいたりしてするものだけではありません。誰かを大切に思い、その人の幸せを願うことも、祈りといえるのです。そしてその思いがはっきりしていて、「どうかこの人に幸せが訪れますように」と願うなら、それは立派な祈りです。
祈ることの意味を知るために、また「愛されている」と信じられるようになるために、毎日少しずつでも、誰かの幸せのために心を傾けてみませんか。
マリア様