「正解は生み出すもの?」
サレジオ学院では「召命教育」に力を入れています。進学先や職業を選ぶときに「なりたい自分」だけで判断するのではなく、「世界が自分に何を求めているか」や「神さまが自分に何を期待されているか」も考慮に入れることで、「自分が何者として任命され、何者としてこの世に派遣されているか」…つまり、自分の召命を出発点として考えるようお勧めしています。
ところが、受験に熱心であればあるほど「正解を求める=正解に縛られる」傾向が強くなり、また、他人の評価を気にする傾向も強まるものです。そうは言っても、人生には正解なんて存在しないので、「なりたい自分・世間や周囲の評価」だけで正解を設定してしまうと、そこに至らなかった場合に「自分は失敗した」とか「負け組」とか勝手に思い込んで、自己評価を下げてしまいます。すると、自分の可能性も低く見積もりはじめ、やがて目標に向かって「抗う」こともしなくなる。当然、幸せは遠のいてしまいます。
サレジオ学院では、みなさんが「神さまに選ばれて、マリアさまに導かれて来た」と教え、そう信じています。だから、自分を低く見積もるのは見当違い。そもそも、サレジオ学院での生活が「正解かどうか」なんて問いには、あまり意味がありません。真に意味のある生き方というのは、サレジオ学院での生活を「自分にとっての正解に近づけていく」ことです。自分の選択が正解かどうか、手にしたモノが良いモノであったかどうかに固執したところで、そんなものは永遠に答え合わせが出来ません。それより、より良く生きるためにはサレジオ学院という環境を最大限に活かして行くことです。せっかく呼ばれたのですから。