『正しいことを正しい仕方で』

近年注目されている”tone policing”という概念。語調を取り締まる行為…と翻訳したら、分かっていただけるでしょうか?ある人が何かを主張しているときに、その主張の内容ではなく主張の仕方、つまり言葉の選び方や表情、その他の表現方法を糾弾するような行為のことを指します。この”tone policing”が注目されているのは、差別構造や権力構造と深い関係があるからのようです。

 

貧困や抑圧に苦しみ喘いでいる人々が何かを主張するとき、その追い詰められている状況から余裕が持てず、感情的になることがあります。それに対して余裕のある立場の人々が「冷静に議論すべき」とか「感情的になるべきではない」とかいった「正論」を吐き、それを理由に正当に議論しようとしない。具体的には数年前にグレタさんが気候変動についてアピールした際、世界の反応に、一部それが見受けられました。わたしも、グレタさんを絶賛する人々に苦言を呈した一人です。

 

“tone policing”という形で人々の言論の自由を制限することは決して望ましいものではありませんが、大人であれば況してや教育者であれば若者が「より良い表現方法を選択できるように導く」ことは必須項目です。問題解決とは、自己の主張を感情に任せて「敵」にぶつけることではありません。人々が大切に思っている有名な絵画にスープを掛けて汚したり、車道に座り込んで人々の通行を妨害したりすることではありません。

 

「敵を愛しなさい」というイエスの挑戦に命がけで挑もうとはせず、すぐに諦めてどこかに投げ捨ててしまうような人々の行動とは、このようなものです。チャレンジングな課題にこそ、真摯に向き合って行きましょう。