サレジアンのみなさんは「えんがちょ」って知っているでしょうか?何か汚いものに触った人がいたとき、その穢れ(けがれ)を移されないようにする「呪い=まじない」で、うちの近所では人差し指と中指をクロスさせると完成でした。今どきの子は「バリア~」の方が馴染みでしょうか?このエンガチョ、私の子供のころは「○○(人の名前)菌」とか言って、人を穢れたもののように扱う、いわゆる「いじめ」に使われていました。

 

聖書には、イエスが重い皮膚病にかかった人を癒す場面がありますが、律法によると、そのような病気をもつ人は健康な人のそばに近寄ってはいけないし、自分から「私は穢れた者です。近づかないでください!」と叫び、人々を遠ざけなければなりませんでした。ここには、上記のいじめとは違い、律法という「絶対的正義」によって自分を孤立させなければならない、圧倒的な排除の感覚があります。これに挑戦したのがイエスその人です。

 

イエスは禁を破って、触れてはいけないはずの病人に触れます。病気が治る前に、まず触れるのです。バリアのこちら側にいて、相手が清くなってからこちら側に迎え入れるのではなく、バリアを払いのけて自らを相手の立場(穢れ?)に置き、苦しみを共有した後に「一緒に清くなる」のです。このような価値観は、それまでの私のモノの考え方を吹き飛ばしました。「まさに神!」というか、「このような人になりたい!」という強烈な憧れに火が点いちゃったというか…。

 

最後に、聖人になるためのヒントを一つお教えしましょう。言葉を口にする前に ①それが真実か ②それが必要か ③それが愛に基づいているか を糾明することです。1年間実践出来たら、周り中の人があなたを愛してくれるようになるでしょう。…みなさんは、どのような人になりたいですか。