朝の話|阿部神父
2026年10月15日
「自由のために、誰かを置き去りにしてもよいのでしょうか」
皆さん、おはようございます。今日は、クィン・スロボディアンの本『破壊系資本主義——民主主義から脱出するリバタリアンたち[自由至上主義者たち]』(みすず書房、2026年)を、カトリック社会教説の視点から少し紹介します。
この本は、世界で増えている「ゾーン」と呼ばれる「特別区域」について語ります。そこでは、企業が自由に活動できるように、税金や法律が大幅に緩められています。一見すると「自由で便利な場所」に見えますが、実はその裏で、労働者の権利が弱まり、住民の声が届かなくなるという問題が起きています。つまり、自由を最大化するために、民主主義が薄くなる場所が生まれています。
カトリック教会は、社会のあり方についての大切な原理を示します。①人間の尊厳——どんな人も、利益より優先される尊い存在であること。②共通善——一部の人だけでなく、社会全体が幸せになる道を選ぶこと。③連帯——弱い立場の人を切り捨てず、ともに支え合うこと。④補助性の原理——大きな力が小さな共同体を押しつぶさず、助ける形で働くこと。
しかしスロボディアンが描く「ゾーン」は、これらの原理としばしば逆方向に進みます。自由を求めるあまり、「政治から逃れたい」あるいは「民主主義は効率が悪い」という考え方が生まれ、その結果、声を上げにくい人ほど置き去りにされてしまうのです。
イエス・キリストは、「最も小さな者にしたことが、私にしたことである」と教えました。社会の仕組みでも、学校生活でも、弱い立場の人を守ることは、神の前で最も大切な行いの一つです。自由は大切です。しかし、自分の自由のために、他の人の尊厳を犠牲にする自由は、キリストが示した自由とは違います。
今日一日、自分の行動が「誰かの声」や「誰かの権利」を奪っていないか、少しだけ心に留めてみてください。それが、共通善を選び、連帯を生きる、キリスト者としての第一歩になります。それでは、今日も良い一日を過ごしましょう。
※リバタリアン(libertarian)——「自由至上主義者」あるいは「完全自由主義者」と訳される言葉です。つまり「他者の権利を侵害しない限り、個人のあらゆる自由を最大限尊重すべきだ」と考える自由至上主義者を指します。小さな政府・自由市場・自己責任を重視する立場のことです。