朝の話|辻家神父

2026年06月06日

「支えあう力」

 おはようございます。木曜日の体育祭、お疲れさまでした。熱い戦いが繰り広げられましたね。皆さんにとって、どんな体育祭だったでしょうか。優勝して嬉しかった人もいれば、悔しい思いをした人もいたと思います。でも私は、この体育祭を見ながら、つくづくと感じていたことがあります。体育祭は、決して一人ではできない、ということです。

 私たちはつい、足の速い人や、活躍した人に目が向きます。もちろん、それは素晴らしいことです。チームの思いを背負って一生懸命にやっている姿はとても輝いていました。でも、あの日を作っていたのは、それだけではありません。朝早くから準備した人、放送や音響を担当した人、パネルを作成した人、応援で場を盛り上げた人、競技に出ていない時にも、仲間を励まし続けた人。そして、それを支えた先生方や保護者の方々。そうした目立たない頑張りが集まって、あの体育祭ができていました。

 聖書には、「体は一つでも、多くの部分から成っている」(Ⅰコリント12章12節)という言葉があります。目もあれば、手もあり、足もある。どれも欠かせない存在です。学校も同じです。ドン・ボスコは、学校を単なる勉強の場ではなく、若者が安心して自分らしく成長できる場にしたいと考えていました。互いに支え合い、ともに成長していくことを大切にしていたのです。

 体育祭は終わりました。でも、あの日に見えた「支えあう力」は、体育祭だけで終わらせるにはもったいない、そう思います。教室でも、日々の学校生活でも、部活でも、お互いの良さを認め合い、活かし合い、お互いに支え合っていくことが大切です。体育祭を支えてくれたすべての人に感謝しながら、あの日に見た「支えあう力」を、今日からの日常でも大切にしていきましょう。

このページのトップへ