朝の話|鳥越校長
2026年09月15日
十字架の意味
教室には十字架がかかっていますね。キリスト教といえば十字架。でも何で十字架?って不思議に思うこともあると思います。十字架にはイエス様が釘付けにされており、ある意味グロテスクな雰囲気さえあります。
それでもキリスト教は十字架を大切にします。十字架はイエス様が自分の生き方を通して示そうとした価値を表しています。
福音書では様々なイエス様の言葉、行動が描かれています。その中でも特に弱い人、貧しい人、苦しんでいる人をほったらかしにしない姿にスポットライトが当てられています。近づき、言葉をかけ、励まし、涙を流すイエス様です。
一緒に悲しみ、一緒に苦しむことの意味、それをイエス様は伝えたかったのだと思いますし、それがイエス様に託された父である神様の望みでありました。イエス様はそれを命を賭けて実行しました。
父である神様の望みは人々の救いです。神様は一言「お前を救うぞ!」と宣言すれば事足りたはずなのに、あえてイエス様が十字架にかかって亡くなることを通して実現しようとされました。神様が人を救うために自分の命を捧げる . . . 理解を超えた理屈です。理解できない、でもそれを神様が選ばれたんです。そこに神様の本気度があるのでしょう。
「命を賭けて」とか「死ぬ気になって」という表現がありますが、普通それは比喩表現です。でもイエス様はまさに有言実行したわけです。
昨日は教会のカレンダーでは「十字架称賛」、十字架を讃える日でした。「十字架を讃える」とはイエス様の生き方に倣うこと、隣の弱い人、苦しむ人に、なんとか寄り添い、本気になってその気持ちを汲み取ろうとすることです。
目の前の十字架を見ながら、イエス様の生涯、そして私たちに託された召命、誰かのために本気になる、そんなことに少し思いを馳せてみてください。
