2026年07月17日
自分の思考に哲学を実装しよう! <視点>と<枠組み>の必要性
(一学期終業式の学校長講話より)
私たちは物事を考えるとき、「中立であること」が大切だと言われます。しかし、それだけで本当に十分なのでしょうか。
「中立」に似ている言葉で「中庸」という言葉があります。この中庸という視点で見れば、「中立であれば十分か?」、「あるべき態度とは何か」という論点も見えてきます。ですので、今日はまず「中庸」の意味するところを皆さんと考えていきましょう。
「中庸」は広くヨーロッパ哲学や東洋哲学に見出せる考え方です。ヨーロッパではアリストテレス、中国では孔子がその代表でしょう。
アリストテレスは、中庸とは、過不足のない適切な程度、状況に応じた最も良い行動を選ぶことだと言います。この中庸の態度を持つことによって人はより良い人生を送ることができます。
孔子は、中庸とは、礼や道徳に従って、人間関係や社会において調和の取れた正しい道を守る姿勢だと言います。彼は中庸の態度を持つことによって自分も社会も安定すると言っています。
興味深いことに、アリストテレスも孔子も「選ぶ」「守る」という自分からの積極的なコミットメント・行動を強調しています。中庸はその都度自分の考えに基づいて「自分はどう関わるか?」というスタンスを「選ぶ」、「守る」能動的態度です。
さて中庸の意味がわかったところで、改めて「中立」について考えてみましょう。中立とは「2つのものから等距離に立つ」あるいは「両方とも関わらない」という消極的、受動的な態度にもつながります。そして「中立」は、思考停止を引き起こす可能性も否定できません。
であれば、「中立であればいい」という受け身の姿勢ではなく、議論をさらに深めるため「様々な立場を踏まえ、この出来事の本質は何か?そして自分はどうあるべきか?」と積極的に問う「中庸」の姿勢こそが、必要だということが分かると思います。
もう一つ大切なことがあります。それは「議論全体を論点ごとに整理する」あるいは「議論の枠組みをきちんと立てる」ということです。つい私たちはいろんなことをごっちゃにして感情的に考えてしまいます。自分の感情、好き嫌いで論を進めるのではなく、きちんと自分の考え方がロジックの整合性に基づいているかを自問自答しましょう。
今日は自分の思考に哲学を実装させようというお話をしました。



終業式の最後に、鳥越校長の「県民功労者賞」のお祝いを生徒会がしました。