朝の話|鳥越校長
2025年12月02日
生成AIと私
先日生成AIの研修会に行ってきました。改めて生成AIの進歩のスピードに驚かされました。自分は最近になってプロンプトって大切なんだなぁと思い至ったのですが、プロンプトは実は2年前からもう生成AIの方で勝手にやってくれる、という話を聞き愕然としました。えっ、自分は2年遅れている?ショックでした。
一頃はchatGPT一択でしたが、今では映像制作なら Sora、楽曲ならSuno、もうちょっと勉強に寄せるとCanva, Notebook LMや、複数のAIを統括するGensparkでプレゼン資料作成など、それぞれの用途ごとに何種類もあり、あっという間に、しかもハイクオリティで作ってくれる「そうです」。ポンコツの私は「そうです」と伝聞調でしか言えないのですが、皆さんも色々チャレンジしてみてください。
生成AIの進歩は人間の知力の限界と可能性を示しています。自分の創造性、学び興味関心の深まり自体はどうなっていくのだろう?そもそもそんなの必要ない? でもちょっと寂しいかなぁ〜、悩むところです。
いずれにしてもそれをどう使うかは相変わらず君次第。気をつけなければいけないのは、君の個人の領域のみに収まらない行為があるということです。例えばディープフェイク画像。広く一般社会に不安を引き起こしたり、あるいは合成ポルノ画像で人を貶めたり……これって決して「ノリだった」では許されない犯罪行為です。「創ったChatGPTが悪い!」は通りません。
生成AIは技術が進んでもそれ自体は道具であり、それを使う人間がいなければただのアルゴリズムの集合体に過ぎないわけです。自分と周りの人々を大切にするためにどう使うか?ということになります。
君の価値を決めるものは何?
君の知性の意義を図るのは何?
技術革新は一周回って最終的に「人間とは何か?」という哲学的な問いに戻ってくるんですね。
